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Old BITA diary    
ひとり言
  
その当時自殺を考えていたと言う人からメールを頂きました。
この文章を読んでもう一度やり直して見ようと思ったとの事です。
ブログはリアルタイムですが今一度過去を振り返るのも大切な事かもしれません。


鞴祭り
以前私の在職していた会社(イチコー)では毎年12月のある日になると鞴(ふいご)の神様を御祭りする行事
がありました。  ブリキの金型を造る部門で、金型の最後に焼を入れる神様にお祈りし、今年も良い金型を造らしていただいた事に感謝をするのです。 

隅に清めの塩を盛った炉に皆が一礼し、冷酒と火鉢で焼いたスルメを肴に談笑し、みかんを2個お土産に持って帰るといったシンプルな御祭りです。 見上げると高い天井の薄汚れたスレートぶきが目に止まり、この職人さん達の心意気だけは無くしたくない...と思いました。 それがBuriki-yaの基本です。


パソコンとの出会い
友人のYがくれたシャープ製で記憶媒体はカセットテ-プ!  表計算のカルクが使い易かった。
文字がカナと英数字だけなのが少し悲しかったけれど...(-_-;)


父について
父は北海道の松岡財閥の嫡子であったが祖父が連帯保証をしていた人が倒産、本人と曽祖父が土地を売り払って対処したが、心労のためか死別。   小学校も中途で曽祖父と共に山で炭焼を営む生活だったと言う。
その時、幼い身での力仕事がたたってか、脊髄カリエスになる。

そのため兵役を逃れ、叔父を頼って上京し、下戸ではあったが戦需景気下の電気用資材の営業を行った。
(当時芸者さんをあげて一晩で今で言う100万位のお金を使ったと言う)
ただ元々アイデアマンで在った彼は、メ−カ−に憧れ、一宏製作所を設立。
後に(株)一宏工業(その後一晃に改名)となり一時は従業員400人の会社となった。  
ただブリキにこだわるあまり、業績は衰退の一途をたどる。
企業は攻めより守り、そして退却が一番難しいと言う言葉を実感した。


アイデアマン
私も中学生の頃、やかんの沸いた時を知らせる事が出来たら?と考え、磁石でやかんのふたに笛を付けようとした事があります。  父のアイデアマンの血を継いでいるのかも?
台湾のメーカーから持ち込まれた日本では電取法で販売できない充電式乗用玩具をアダプター式に改造する事を提案し、それまで乗用玩具の無かった会社が乗物業界2位までになった事も。
PAT.Pが効いたのかも(無論とれるとは思わないけど他社の牽制になったでしょ?)

窓から犬が鳴きながら顔を出すおもちゃもGOOD TOYに選ばれたし着想は良いんですが..
ただ父と違うのは、あきらめが良すぎる事。やかんの時も当時は磁石がくっつかない素材だったので...(-_-;)
ようは自分が考案した時、同じ事を考えた人は1000人いて、商品化まで行うのは5人、儲けるのは1人!!



父亡き後
父亡き後、兄が社長を継ぎ自分は専務取締役となった。   しかし中古のベンツを初め、次々と車を買い換える
(見栄張的性格)な兄とカローラを12年も乗る(倹約家?けち?)な私とでは意見の調整が難しかった
のかも知れない。   バブル期に個人所有のマンションを建設すると言う兄と意見が分かれ、経営を兄に任せて実務に専念する事となった。

結局絵にかいた餅ほど不味いものはない。 その後メガバンクに吸収された某都銀の”絶対に儲かる話”はバブルであっという間に吹き飛んだ。言い出しっぺの都銀は梯子を外して残ったのはご立派な建物と後を引き継いだ地方銀行、信用金庫の高率の負債だった。

以前自分の義兄弟に当たる債権関係の法務に強い人親切な方から弁護士を紹介された。
資料を見ていただいた上でのご回答は”何とかなると思います”との力強い言葉だった。
だが兄は弁護士よりも少しでも債権を回収したい銀行員の言葉を信じたようで結局弁護士を使う事はなかった。

そしてある日某高利の会社に資金援助を頼もうとしているのを見かけた。
今では誰でもそんな事をすれば情報が金融機関に共有され二度と借り入れができなくなるのは周知の事。
そして現在では法的に規制されているが当時彼らの返済を迫る方法も半端ではない事も聞いていた。
”絶対にやめた方が良いという私の言葉に耳も貸さず”上場企業だから大丈夫だ”と言い実行してしまった。

絶望的とも思われる毎日を過ごしながらその頃、毎晩遅くまで業務に携わり、帰宅して家内と子供達の幸せそうな寝顔に何度力づけられた事か...

そしてある日突然”このままでは明日つぶれてしまう。借入の連帯保証に判を押してくれ。”と突然に言われる。
以前知人の経営者が連帯保証をしたばかりに全ての資産と家族まで失うのを見て、”俺とおまえは連帯保証を相互にしないように約束しよう”と言っていた兄が...
”1週間以上前からわかっていた事を突然言うのは明らかにルール違反だが一応その内容を問い質した。 
すると突然”もうわかった、お前にはもう頼まない!”と突然退出してしまった。
兄弟と言えども”絶対に間違いなく返すから”という言葉の内容を確認するのは当然だと思うのだが。

その深夜”80歳近い母からこのままでは兄が死んでしまう何とかしてちょうだい”との懇願。
途中で電話に呼び出された家内には”それを説き伏せるのが嫁の役目でしょう!”とまで罵った。
結局、苦渋の選択の上、判を押さざるを得なかった。   歴史はまた繰り返されるのか...(-_-;)

ちなみに父の死後兄は母と同居した事は1度もなく、例のマンションに高額な仏壇とともに独居させていた。
以前イチコーのプレス作業場と金型製作工房のあった場所に建設されたマンションである。
自分は家族と一緒にその正面に建設されたマンション(かってイチコー本社跡地)に住む事にした。


イチコーの終焉
その後も厳しい状態は続き、自分も約1年分の給料遅配が続いていた。 同僚と共に、たとえ給料をカットしてでも方針を定めなければ! と言っても何の返事も返って来ない。
さすがに社員も退職を希望し始めたので、自分の一存で”会社都合による離職表を申請,退職させた。
”そんな事をするから社員が辞めるんだ!”と言われた時点で(やらんでもやめるやろ!...と思いつつ)ある決意をする。


クーデター
次々と社員が退社し、仕入先から君が責任を持つならバックアップするよと言われた。
個人と会社の債務を別にしたいため、新会社を設立し、債権債務を移行させる事を条件にクーデターを企てたのだが、直前に仕入先の一人が、”今までお世話になった会社を裏切るような事は出来ない。”と言い出し、未遂に。
(最終的にその方は大変な債務を抱えるのだが、その息子さんに”責任とらんかい!”と言われたのにはまいった。


インターネットとの出会い
当然会社にいづらくなる中、お世話になっていた方から”新会社設立の一員にならないか?”と言う話を持ちかけられました。退職金も事業主の一員と見られている為雇用保険もおりないのですが、たまたま?車の追突事故に会い保険金を手にして(株)一晃を退任しました。

債権・債務に詳しい義弟と相談し、退任届を内容配達証明で送付すると遅配分の給料の請求(最後に紙切れとなった手形が届く)と新会社の設立の準備にとりかかりました。
その間、3ヶ月程の間に広報用にと思いHPを学習し、立ち上げたのがこの稚拙なHPです。


HPの作成
家内が外で働き、5食298円のラーメンをすすり家でパソコンを叩いている...
でも私の人生にとって極めて貴重な3ヶ月でした。  これあってのburiki-ya.net/ですから。


渡る世間は鬼ばかり?
やがて(株)一晃も2度目の不渡り手形を出し、17億の債務者である兄が夜逃げしてしまった(夜逃げは立派な犯罪行為です)
母からは有り金と金銀、大事にしていた宝石、有価証券はては勲四等双光旭日章に至るまで金目のものは全て持ち出した。

そして連帯保証している私の所に債務の履行が迫られる形となりました。ありがたいのは、銀行さんが現時点での債務だけでなく、50年に渡る歴史を認識してくれている点で、それから十数年たった今現在、最悪の状態を迎える事もなく、贅沢こそ出来ませんが平穏な日々を送らせて戴いています。
これも父が選んだ銀行に間違いが無かったという事の証かもしれません。
思わず春うららかな墓参りの時にその感謝の言葉をつぶやいてしまいました。


食(職?)足りて愛芽生える
魯迅の言葉です。 この前私の新しい職場の目の前の家で首吊り自殺がありました。
まだ50代の方で個人事業主、職場と自宅が一緒で銀行に2,000万程借金があったとの事。
仕事が赤字のためか奥さんとは離婚しながらも週に1度元奥さんが見えていたそうです。
偽装離婚で元奥さんが公共機関から何らかの手当てを受けていたのでは...と推察されます。
なんか一人ぼっちで生きる理由が無くなったと感じたのかな?


やれる事さえやれば...
前述のマンションも私所有の土地と合わせて3億5千万で売却し、母名義の社長宅も売却し残ったのは父が製作所を始めた向島の小さな建物と本社跡に建てられたマンションの家内との共有名義1室のみ。
約7割方回収した東○○銀行さんも私の去年の確定申告を見て、現時点ではこれ以上の回収は不可能という結論を出してくれました。  酒、たばこを止め、家内はパートに、2人の子もバイトで納税額が0では..
”銀行は債務者を破滅に追い込むのではなく、双方にとってBESTな道をお勧めするだけです”...ありがたい言葉でした。


渡る世間は...PART2
ただ別の銀行さんが突然、”今週中に連帯保証分のX千万の支払い方法を明示してください。でないと抵当の物件を競売させていただく事になります。”  ”XXの形で延払いをお願いしたいのですが...”  ”お話になりませんな”
そんな矢先、新製品”ブリキのTAMAGO”も販売好調だっだのだが親会社のご都合により退職する事に。
雇用保険? ああ、あれは介護保険料をその項目で引いていたんです。 役員ですから入っていませんよ。
思わず前述の自殺した人の心境が...


渡る世間は...PART3
なんとか銀行さんも状況を理解していただいたが、8月のお盆で求職+おもちゃ業界は不況でリストラの嵐という最悪の事態でした。
業界と無関係ない会社に入社して企画・営業力・HP関連の職種を歴任しました。 
まあおかげ様で...(^。^)


民間と政府系との違い?
前述の都銀・地銀・信用金庫あわせて4行も東○○銀行さんが中心になってくれ約8割方返済時点で債権あれども請求なしとして自行内にて処理してくれたようです。
ただ以前父が某組合の理事長をしていた時、当時中々中小企業に対して銀行が融資をしづらかったため、H協会を利用して官営のS金庫から融資を取り付けるという行動を起こしました。

中々融資を受けられなかった企業にも喜ばれ、会社のメインバンクとも言えるS金庫も潤い、H協会もその機能を発揮してまだバブル前でしたから皆から喜ばれました。
また会社も当時は資産があったので年間売り上げ額と同じ位の借金がありましたが、しっかりと銀行を設けさせた後、バランスを考えた資産の売却等で会社を運営していました。

しかしバランス感覚の無い経営者にバブル時必要以上の借金をさせ、年老いた母をダシに使い経営にかかわっていない人間を計画的とも思える手法で巻き込むとは...


しかも土地に1億の抵当権を付けた借財も1500万程まで返済したのに後はいつになりますか?という意識のみ。
自分たちで処理するという自浄機能が全くなく、○○保障協会にしても自分達には全く責任のセの字も感じられない。
やはりその後民間への移行は実行されたが、体質は今でも変わっていないと見た方が無難だと思います。


人の性格は変わらない
その後住所も知らせない兄と母の葬儀を通じて数回会う機会があった。
自家用車での乗り付け”その当時は迷惑かけたな”などの一言もない。
家内の”母を面倒見たわけではないので..”の言葉を鵜呑みにして遺品を全て持ち去っていった。
1億もの借金の残債が残っており、遺産の中には借財も含まれるのだがもう何も言う気が起きなかった。
そう、自分には兄など居なかったのだ。 愚かな経営者とそれを説得できず周りに迷惑をかけた自分がいただけだ。


尊敬される人
なんの苦労も知らない二世で自分の事しか考えない。 ”それは全て私の責任です”と言いつつ何一つ責任を取らず都合の良い事のみ自分の手柄にし、都合が悪くなると何の説明もせず逃げるだけ...どこかの国の首相そっくりだと思いませんか?